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ミントグリーンの似合う人


ミントグリーンを見ると会いたくなる人がいます。白地にミントグリーンのストライプが入った衿の幅が広いシャツを着て、黒板の前に立っている姿が今でも忘れらません。『フランシーヌの場合』がBGMとして聞こえてきそうなくらい完璧な60年代後半から70年代前半のファッションに身を包んだ高校の数学の先生です。

私の高校時代は青春を謳歌するとは程遠いものでした。スポーツで汗を流し、恋をし、友情に泣く。そんな生活は夢のまた夢でした。また、思春期特有の屈折した思いを音楽や絵画に打ち込むような芸術家肌でもなく、心の中にあるモヤモヤした自己嫌悪、学校の雰囲気に馴染めない劣等感、そういった感情が常に渦を巻き、イライラした自分を持て余していました。

冒頭の数学の先生はこのような私のあるいは私たちのことをよく理解していた数少ない先生だったように思います。放課後に数学教室に行くと心よく私たちを受け入れてくれました。そこで何を話すわけではないのですが、ただ寄り添っていてくれたのです。教師生活を振り返って「全てでした。とても居心地のいい空間でした。」という言葉を残されています。それを読んでふとあるエピソードを思い出しました。

団体行動をあまり強制しない学校なのに体育祭の縦割りダンスは何故か全員参加でした。団体行動が極めて苦手な私はこういったことが本当に嫌でした。手芸好きなので衣装はきちんと作るのですが、練習には参加せず、当日まで自分の立ち位置すら分からない状態でした。もちろん本番は校庭を右往左往するという失態。私たちの出番が終わると、先生がさりげなく寄って来られ、複雑な顔つきで、一言。「ちゃんと踊らないから目立ってたよ」と。そのときはっと気づきました。私一人の体育祭ではなく、一生懸命頑張って準備してきたダンス部の人たちや毎日欠かさずに参加してきた生徒にとって、とても大切な一日であったことに。先生は責めるようなことは何言わず、自分のクラスの生徒でもない私のそばにただいてくれてたように記憶しています。

高校を卒業してから一度も母校を訪れたことがありません。高校生の自分に会ってしまうのではないかと怖くて、行けなかったのです。卒業しても遊びにこられない生徒の気持ちもきっと先生は分かってくださっていたのではないでしょうか。退職後は生徒を育てるのではなく、野菜を育てることに夢中になっていらしたそうです。そんな先生が6月7日この世を去られました。「ご冥福をお祈りいたします」という表現はあまり使いたくありません。死後の世界が本当にあるか分からないからです。でも、中井英夫の日記のこの一節は信じられる気がします。

 死んだらどこへいくのか、Bのさいごの問いだった。教えてくれなきゃ、教える、といった。

「他人の心の中に」だ。

 この他人を、たとえばテレビなどいつも「タニン」といい、「他人事」をタニンゴトなどと平気で発音するが、己は「ヒト」としか読まない。それも平がなの「ひと」だ。死んだら「ひと」の心の中へ行く。

 やっと答が見つかった。

(中井英夫の日記より)

多くの「他人」の心の中にいる先生。私の心の先生は、やはりミントグリーンのストライプの入ったシャツを着て、色のついた大きな眼鏡をかけ、クールに「ふふふ」と笑っておられます。

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